|
陸軍装備展示
・軍帽
明治38年に制定され、終戦まで大きな変化の無かった軍帽。形から、「クラッシュ」と「チェコ」のタイプに分かれているようだ。陸軍の軍帽は鉢巻部が緋色だったため、戦闘では使えなかった。
・昭五式将校用夏軍衣
四五式からかわり1930年に制定されたのがこの昭五式軍衣である。四五式と変わらず、立襟で肩章がつけれる。この軍衣は将校用なので、作ったテーラーの名前が入っている。襟部には鍬型の兵科章をつけたあとがうっすらと残っている。今後、とりあえず画像用に萌黄色のフェルト購入予定^^;
・九八式下士官冬用軍衣
昭和13年5月31日に「勅令392号」で制定された新型軍衣の冬衣で羅紗製である。それまで(昭五式)の立襟式から実戦向きの折襟に変更され、階級章も肩章から襟章に変更された。将校や、古参の下士官(下士官以下は官給品なので本当は改造禁止。古参だから見て見ぬふり?)は襟を大きくしおしゃれをしたそうだ。
・九八式下士官軍衣(綿製)兵長襟章付き
正式名称は「綿製冬衣」綿製で中綿入りの代用冬服だが、通常は「代用冬衣」と呼ばれ、肩、肘部に補強用のパッチが縫い付けてある。
・三式将校用外套
昭和18年に10月12日に「勅令774号」にて九八式に続き制定された三式軍衣(微章類の変更のみ)の外套。後ろの部分は馬に乗ってもいいように割れるようになっている。
・兵用戦闘帽(レプリカ)
・陸軍兵雑嚢(レプリカ)
昭和13年制定の新型雑嚢で従来の物(旧型雑嚢)より容積が5割増加した。実物は防水幌布製で布バケツにも使える。紐の採用により資源節約と戦闘中に音を立てないようにという配慮がされている。
・三八式歩兵銃(KTW製エアガン)

三八式歩兵銃は明治38年に採用された小銃で30年式歩兵銃のマイナーチェンジモデル(遊底の単純化など)である。弾丸は6.5mm弾で小口径と尖鋭弾(せねいだん)の相乗効果で、初速762m最大射程約4000mをほこり、発射時の反動が軽く(8mm弾にくらべ30〜50%反動が軽い)命中精度も良かった。また、弾丸威力もあり、400mで厚さ8mmの鉄板、600mで厚さ22cmの煉瓦を貫通し、銃口付近では人間3人を貫通できたと言われている。画像はKTW社製のエアガンでなかなかの性能を持っている物。私はこれにスコープを載せ、三八式試作狙撃銃として使っています。 エアガンについての仕様はそのうち公開^^;

↑三八式試作狙撃銃もどきの私の愛銃^。^
・騎兵用弾薬盒(自作機能的レプリカ)

・指揮刀と騎兵科の指揮刀

一般的な指揮刀と騎兵指揮刀、騎兵の方が、刀身も幅広く長い。本来は、銀色のメッキのはずだが、この鞘は国防色に塗られている。ただ、私が所有している物に関して、騎兵ものと見られる指揮刀の刀身は重いのだが、やわらかさがある^^;
・九八式将校野戦用軍刀(鉄鞘)

国防色の鉄鞘に収められた太刀型軍刀。それ以前の両手握りのサーベルタイプから替わった物である。太刀型軍刀が制定されたのは昭和9年で初めは吊り環が2つであったが、昭和13年に1つとなった。人によっては鞘に革を巻いたりすることもあった。また、将校の軍刀は個人所有の私物のため、銘刀を軍刀拵えにしたものがあった。しかし、平時はステータスシンボルでもあり歓迎された軍刀だが、戦地では厄介な装備で、行軍の際には、左手で押さえていないと足にからんで歩きにくかった。そこで帯革に差したり、背中に背負ったりすることが多かったと言われている。また、銃剣のように包丁や缶切り代わりにもならないのも不便だった。
・下緒&帯革(自作レプリカ風)

・騎兵科山型胸章(自作レプリカ)

軍衣が昭五式から九八式に替わって襟部の兵科章がなくなったのに伴ない、右胸に山型の兵科色をつけたが、昭和15年に各兵科名が廃止されたのに伴ない廃止。しかし、各兵科で一部の人はつけ続けていたらしい。画像はフェルト等を使い試しに作ってみた物^^;
・軍鞍(日本陸軍騎兵鞍)&将校用頭絡
14年式乗馬具の一部と思われる鞍と馬嚢で現在の鞍を考えるとかなり重いが、乗り心地はかなりよい気がする。また、頭絡についているバッチは、桜のマークが入っている将校用のバッチである。
・将校用水筒
将校用の水筒は、兵用よりもアルミが厚く出来ている。また、キャップがコップ代わりになっている。本来は羅紗地の水筒覆いが付いている。
・将校用飯盒(新式)
旧型の物は取っ手が無く、弁当箱として要素が強かったが、新型は取っ手が付いて、吊り下げての炊飯が可能になった。
|